ピアノ協奏曲「産土の始め ― 一握の土1,897年」 作曲 青山昌弘

youtu.be   現在、楽譜は添付していません。本編音源はFinale10です。

 平成29年(2,017年)1月22日音更町文化センターにて、牧野時夫指揮、北海道農民管弦楽団、ピアノ川上敦子の各氏による初演は、折からの降雪にもかかわらず、大ホール定員1,050満席の中、気迫ある熱演により、訪れた聴衆を感動の渦へと引き入れました。

 ご来場いただいたお客様はもとより、演奏家、関係者の皆様に衷心より厚く感謝申し上げます。

   さて、十勝地方の開拓は官制の屯田兵による開拓とは異なり、静岡出身の依田勉三が率いる晩成社を始め、明治30年の「北海道国有未開地処分法」に基づく、富山、岐阜、四国など本州各地からの民間開拓団によって進められてきました。

 私の祖父母も今から120年前の明治30年(1,897年)4月、音更村が発足する3年前に富山県高岡市の郊外から十勝川の支流で、村の西端を流れる然別川沿いに入植した「矢部地区民間開拓団」25戸の一員です。入植の翌年の秋、全道的に各地の河川が氾濫、ここ十勝川流域においても、収穫を目前に開墾地の大半が流出し、開拓民を絶望のどん底に陥れました。けれども、開拓民は独りの落伍者も出さずに一層団結、協力し、その後も一世紀に渡り幾度となく同じように発生した水害、冷害、凶作などの苦難を乗り越え、ようやく、今日の「産土(うぶすな)」、郷土を築き上げました。

 その間、1,966年、矢部地区開拓70年を記念した神社拝殿内部改修を機にご神体を開封したところ、中から出てきたものは25戸の開拓民が持ち寄った自作地の「一握りの土の塊」と、天地に感謝し明日への決意と希望を述べた縁起書でした。ご神体が「一握りの土の塊」という例は他にほとんど聞き及びませんが、それは正に、祖父母たちの真摯な姿そのものを思い起こさせずにはおかない発見でありましたし、同様にそのことは、当時の北海道各地の開拓を担った多くの開拓者たちの誰にでも共通する姿勢、感情であったのではと思います。 

 日本が国家を形成して以来、2,700年の間、北の地に原始の自然が手つかずに残ってきたこと自体、奇跡ですが、その上その土地が、国防上、対露南下対抗策としての火急の国策に使命感をもって応え、100年を待たずして開発、近代化されたということも驚くべきことです。

 私のピアノ協奏曲は、そのようなことに想いを馳せて、開拓当初の大洪水をものともせずに克服、開墾に奮闘した、男たちと女たちの涙と笑いの生きざまを俯瞰的にイメージしたものです。